『時の娘』 ジョセフィン・テイ


 

二年前(2013年4月16日)の「安楽椅子の探偵たち」にも書いていますが、ものの数十ページもいかないうちにはね返されること何度か、懲りずにその何度目か+1回目に挑戦してみました。

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孫子の兵法に「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」とあります。そこで、何度かはね返されてきた厚い壁の理由を考えてみました。
得られた結論はこうです。リチャード三世という、名前だけはなんとなく聞いたことがあるにすぎない人物の物語を、果たして彼が生きた時代を知らず、彼がイングランド王に就くまでの歴史的・政治的背景もまったく知らずしておもしろく読めるはずがない。スナハチ、絶対的な知識不足がいままで途中で放棄してきたもっとも大きな原因だ。

そこで手にとったのが、最近岩波新書から出た『イギリス史10講』。このあたり、「何事も形から」を地でいくアンチョコぶり丸出しだが、いったん身についた性格はいまさら変えようもありません。例によって後半の数講は走り読みで端折り、「さァ、これで本命の『時の娘』にとりかかる事前の備えは整った。『ロウソクのために1シリングを』も読んでテイの作品にも馴じんだことだし」とばかりに何度目か+1回のトライです。

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骨折で退屈な入院生活を送るグラント警部は、恋人マータが暇つぶしにと持ってきた何枚かの肖像画のなかからなにげなくリチャード三世の肖像画を見て疑問をいだいた。十五世紀、薔薇戦争の最後の時代を生きたヨーク家の人リチャード三世は、王位を奪うためにいたいけな二人の甥を暗殺した極悪非道の悪人として、シェイクスピア劇にもなっている英国では知らぬ人とていない人物だ。
どこか遠くを見ているようなこの絵に描かれた人物がリチャード三世だとしたら、本当に彼は歴史に名を残す悪名高い人物だったのか。かくして、グラントは純粋に歴史書をはじめ文献のみを手掛かりにリチャード三世の真実の姿を推理していく。

純粋に学術的な『タナー歴史体系』、リチャード三世の母親を描いた小説『レイビィの薔薇』などの文献を読み進むなかから、後世にリチャード三世の悪人ぶりを決定づけるうえで大きな役割を果たしたのはトマス・モアの『リチャード三世史』だったようだということにたどり着く。しかし、トマス・モアが生まれたのは1478年であり、リチャード三世が王位に就いた1483年当時の彼は5歳の子供だったことになる。つまり、彼の著書の内容は後年の聞き書きであり、直接眼にし耳にした事柄ではないのである。そうだとすれば、その記述はおのずから当時の政治権力の影響をまぬがれていないだろうことは想像にかたくない。
大英博物館に籍をおくキャラダインという青年の協力を得た彼は、文献に記された事実のひとつひとつに基づいてこういった推論を裏づけていく。手に汗握る場面こそないが、アームチェア・ディテクティブの本領が発揮される作品であります(チョットだけ退屈なのはガマン、ガマン)。

それにしても、当時の血縁・姻戚関係の何と複雑に入り組んでいることか。何々家のA公が何々家のW姫と結婚したかと思うと、数年後には離婚して何々家のY姫と再婚し、一方W姫はといえば同じ何々家一族の一回りも年下のB伯と再婚したとか、めまぐるしいほどだ。シロウト考えだが、カトリックの厳しい戒律もなんのそのといった様相で、政略的な婚姻がもたらす利害の大きさと「英雄色を好む」という故事の普遍性は洋の東西を問わないようですね。

(今回は長文になったためページ分けしました)


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atmos-nwp の紹介

主に50~80年代の海外ミステリーの紹介を兼ねて読後感を綴っています。本格、倒叙、ハード ボイルド、冒険、スパイ、安楽椅子、ユーモア系等ジャンルは問わず読み散らかしてきました。ときには散歩の道をそれて50~70年代のモダンジャズやスキー、バラ園芸にもふれています。HP「気象と気候値のページ」も運営していますので、興味のある方は一番上のタイトルの下にある<気象と気候値のページへ>をクリックして是非お立ち寄り下さい。
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