『時の娘』 ジョセフィン・テイ


さて、ここで話は飛躍します。
読み終えて思い浮かんだのは『吾妻鏡』の源実朝だった。知られているとおり、歴史書とはいっても時の権力者であった執権職北条氏側に立った記述が多いこの書は、特に実朝暗殺前後のくだりにいたってはほとんど創作に近いことをうかがわせる。

むかし読んで感銘を受けた吉本隆明著『源実朝』から、『吾妻鏡』に書かれた実朝暗殺部分の意訳を引用する。

 鶴ケ岡八幡宮の楼門に入ろうとするとき、右京太夫北条義時はにわかに気分が悪くなって奉剣役を源仲章にゆずって退去した。そして、実朝一行が一連の神事を終えて退出しようとしたところで、別当阿闍梨公卿は石階段のそばから剣をかざして将軍実朝に斬りかかった。(中略)
そもそも今日の変事は、かねて異変を感じさせる出来事が一再ならずあった。(中略)
出立のときにおよび、庭の梅を見て(将軍実朝は歌を詠まれた)
       出でていなば主なき宿となりぬとも
                    軒端の梅よ春をわするな
ついで南門を出るとき、霊鳩がしきりに鳴きさえずった。

出来過ぎである。急に気分が悪くなって退席したという北条義時は実朝暗殺を事前に知っていたのではないか。さらに深読みすれば、暗殺を公卿に仕向けたのは義時本人あるいは北条氏ではなかったかとも思えるのである。しかし、『吾妻鏡』の作者は変事を予感させる出来事を引き合いに出して、実朝暗殺という凶事を暗示的に書くことで、公卿ひとりにその罪を負わせるとともに抗いがたい運命の定めであるかのように予定調和的に書いているのだ。

しかし、実朝という人間のもつ魅力はそんなこととは無縁であり、齋藤茂吉の『源実朝』は当然のこととはいえ、太宰治が『右大臣実朝』を、小林秀雄が『実朝』を、さらに吉本隆明が『源実朝』という作品を残しているほどである。

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いつのまにか、話は別の方向にいってしまいしたが、『時の娘』に刺激を受けた高木彬光は『成吉思汗の秘密』、『邪馬台国の秘密』を書いたといわれているほどですから、こんな連想の飛躍もお許しをいただけるんじゃないかナ。

最後に、実朝の一首を書いておきます。

      大海の磯もとゞろによする波
            われてくだけて裂けて散るかも

この歌に万葉的なおおらかな風景を感じるならば、滑稽なほど幸福だ。実朝の透徹した眼ははるか遠くを見ながら、自己照射できるほどに乾いた諦念にむかいつつあるのだ。


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主に50~80年代の海外ミステリーの紹介を兼ねて読後感を綴っています。本格、倒叙、ハード ボイルド、冒険、スパイ、安楽椅子、ユーモア系等ジャンルは問わず読み散らかしてきました。ときには散歩の道をそれて50~70年代のモダンジャズやスキー、バラ園芸にもふれています。HP「気象と気候値のページ」も運営していますので、興味のある方は一番上のタイトルの下にある<気象と気候値のページへ>をクリックして是非お立ち寄り下さい。
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