心に残る黒人女性歌手たち ―その2―


しばらく前に好きな黒人女性歌手たちについてのあれこれを書き綴ったが、あえて彼女たちとは別にエラ・フィッツジェラルドをとりあげました。

手許には『マック・ザ・ナイフ~エラ・イン・ベルリン』と『エラ&ルイ』、そして『ベスト・オブ・エラ&ルイ』がある。なかでも、『エラ・イン・ベルリン』の「サマータイム」は、僕が聴いてきたあらゆる楽曲のなかでもっとも好きな歌です。異郷ベルリンの地で、彼女はのびやかで素直な声で、凝ったフェイクや変な謳いあげもせずに切々と聴かせている。これを聴くたびに、知らず知らずのうちについ故郷を思いおこしたり、老いた父母のことがふっと胸をよぎってしまうのは、決して僕ひとりではないはずです。つけたしになるけれど、控えめながらいぶし銀のようにときおりキラリと光る伴奏がとてもいい。「サマータイム」でいうならギターのジム・ホールがとびきりの音色で切なくなるほど美しいメロディを奏でているのが印象的です。

エラ・フィッツジェラルド

エラ・フィッツジェラルド

エラというひとが天才的な歌い手なのは誰しも否定しないところでしょうが、とりわけすごいと思うのは「ザ・マン・アイラブ」のようにときとして夢見る乙女のような可愛らしい歌声をみせたかと思うと、「マック・ザ・ナイフ」では一転して長年コンビを組んだサッチモのしゃがれた声色で聴衆を楽しませたりと、彼女の歌は天衣無縫の自由さにあふれていながらも、それでいて決してストライクゾーンをはずすことがない。そういった意味で『エラ・イン・ベルリン』は、彼女が生まれながらの歌姫であることがよくあらわれているアルバムだと思う。

そんなふうに思いながら、「サマータイム」の歌詞を思い出していると、マヘリア・ジャクソンの「時には母のない子のように~サマータイム」の歌声がうかんできた。彼女のこの歌も、アメリカ南部の景色や風土にじかに触れたことのないひとにとっても胸をうつ曲だと思います。そして、「時には母のない子のように」という言葉は、いつしか寺山修司を連想させてしまっていました。1960年代の終わり、カルメン・マキという独特の雰囲気をまとった歌い手によるこの歌の作詞は寺山修司だった。さまざまな分野で傑出した才能をほとばしらせながら、同時代を駆け抜けて逝った寺山修司という巨大で恐ろしげな存在を、僕は歌人寺山という視点からしか語ることができないが、歌人寺山を語るとき必ず思うのは中城ふみ子という歌人だ。でも、このふたりの歌人が同じ時代を生き、すれちがったすがたを語るには、僕にはもう少し時間が必要です。いづれはとりかかってみたいテーマのひとつとして胸のうちにあたためておきたいと思います。

寺山修司歌集

寺山修司歌集

中城ふみ子歌集

中城ふみ子歌集


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主に50~80年代の海外ミステリーの紹介を兼ねて読後感を綴っています。本格、倒叙、ハード ボイルド、冒険、スパイ、安楽椅子、ユーモア系等ジャンルは問わず読み散らかしてきました。ときには散歩の道をそれて50~70年代のモダンジャズやスキー、バラ園芸にもふれています。HP「気象と気候値のページ」も運営していますので、興味のある方は一番上のタイトルの下にある<気象と気候値のページへ>をクリックして是非お立ち寄り下さい。
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