安楽椅子の探偵たち


第五回のきょうはアームチェア・ディテクティブ、いわゆる安楽椅子探偵の登場です。バロネス・オルツィの隅の老人、アガサ・クリスティのミスマープルなど安楽椅子型の名探偵は古くからずいぶんいらっしゃいますが、今回は僕の好みにまかせていただくことにします。

まずは、ちょっと一風変わった作品から始めることにしましょう。パット・マガー『被害者を探せ!』、『七人のおば』などです。この作家の作品がはたしてこのジャンルに入るかどうかについては異論もあると思うが、そもそもジャンルなimg_005_1んて後でこしらえたものでしょう、こんなおもしろい物語を紹介しないでおくのはいかにももったいないからぜひここで触れておきたい、というのが僕の本音です。第一作『被害者を探せ!』の舞台は、第二次大戦中のアリューシャン列島のとある辺境の島にある守備隊基地。ヒマをもてあました若い海兵隊員にとって唯一の退屈しのぎといえば、アメリカ本土から届く月遅れの新聞や雑誌の回し読みくらいのもので、そんな新聞記事のひとこまがこの物語の発端です。犯人を捜す通常のミステリーとは逆に被害者を探すという点、それも故国から届く新聞や雑誌の切れ端だけから推理を進めていく点で発想がとてもユニークです。えてしてこの手の作品は二匹目のドジョウ狙いに陥りやすく、第一作を超えることは難しいのが通例ですが、続く『七人のおば』や『四人の女』もけっこうおもしろく読めた記憶がありますが、『探偵を探せ!』となるとちょっと食傷気味の感がいなめないか。  そういえば、アリューシャン列島で思いうかぶのはドナルド・キーン氏のこと。いちいちご紹介するまでもない現代日本文学研究の第一人者、というよりは古典から現代に至る日本文学の批評と研究に燦然たる金字塔を打ち立てられたオーソリティですが、第二次大戦時は米軍の日本語通訳として北方のアッツ島、キスカ島等の作戦に参加された経歴をおもちのようです。僕は、この方の膨大な著書の決していい読者ではないけれど、『百代の過客 日記にみる日本人』、『続百代の過客 同 近代篇』は古今の日記にあらわれた日本人の心情を丁寧に読み解いた実に読みごたえのある本でした。『被害者を探せ!』の主人公はそんなアリューシャン列島に駐在する海兵隊員という設定ですから、どこかでひょっとして若き日のドナルド・キーン氏と顔をあわせるか、せめてすれ違うくらいのことはあったんじゃないか、などととりとめもない空想に発展してしまいますので、この話はこのへんで。

 

お次はハリイ・ケメルマン『九マイルは遠すぎる』のニッキー・ウェルト教授。 ふと耳にした『九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中となるとなおさらだ』という、たったこの言葉だけから、前夜実際に起きた殺人事件の顛末を余さず推理してしまうという離れわざをやってのける。この作家はこの他にも『金曜日ラビは寝坊した』に始まって、一週間の各曜日のラビ・デヴィット・スモール(ユダヤ教律法学士)シリーズがありますが、正直僕は金曜日だけで失礼させてもらっています。

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そして、ジョセフィン・ティの『時の娘』。  退屈な入院生活を送るスコットランドヤードのグラント警部が、英国史上最も悪名高い王といわれるリチャード三世の肖像画から受けた、「彼はとてもそんな残虐非道な男にはみえない」という素直な疑問をきっかけにして、退屈まぎれに歴史書をひもときながら純粋に文献のみからリチャード王の素顔を推理する内容です。早川書房の解説目録に『探偵小説史上に燦然と輝く歴史ミステリー不朽の名作』とあるように、この分野を語るときには避けては通れないとされている作品ですが、正直に言いますと何年かおきに取り出しては最初の数十ページまで読み進んでは決まって途中で放り出してきた、だけど何か気になるといったふうに難題といえる作品でした。このブログを機に何回目かになる挑戦を試みましたが、結果はといえば・・・・・、またまた挫折してしまいました。時代は異なるが、日本でいえば大友皇子と大海人皇子による壬申の乱や源頼朝と義経の諍いに例えられほどの骨肉の争いなのでしょうが、いかんせん僕には百年戦争から薔薇戦争へとつながる英国史の知識が乏しすぎる。この作品を面白く読み通すためには、やはりある程度英国史に通じていることが大切なことを痛感しました。

 

最後は僕が最も好きなブロンクスのママにご登場いただきます。ジェームズ・ヤッフェの『ママは何でも知っている』で、ここに収められているすべての作品が甲乙つけがたいほどおもしろい。安楽椅子探偵の物語というのは、ご当人は決まった場img_005-4所からほとんど一歩も出ないまま、いくつかの質問と緻密な推理だけで答えを導き出すのですから、当然謎を持ち込んでくるパートナーというか、漫才でいったらボケとツッコミにあたるペアが必要ですが、ここでは警察官の一人息子ディビッドとその妻シャーリィがそれを務めています。毎週金曜日の晩にママが作る料理に惹かれてやってくる息子夫婦との間で、時には暖かくて少ししょっぱい涙と皮肉をまじえながら繰り広げられる見事な謎解きは、まさにブロンクスのママの独壇場と化しますが、ママの手料理はすごいボリュームで日本人の僕にはちょっと合いそうもないなぁって思いますが、それはしょうがないことでしょう。  それからママの血筋はユダヤ系アメリカ人という設定ですが、僕はどこかでイタリアの血が入っているんじゃないかっていつも思うんです。というのは、「ママ、アリアを唄う」でみせたあのオペラに関する知識と情熱は生半可じゃありません。そこで頭をかすめたのが、『サマータイム・ブルース』でのV・I・ウォーショースキーのお母さん。彼女は、たしかナチの迫害から逃れてきたイタリア系ユダヤ人で、娘“ヴィク”に何とかオペラ歌手への道をたどってもらいたいと願うほどのオペラ好きだったほどで、作品中でも車の運転中なんかに“ヴィク”がオペラの一節を口ずさむシーンがよく出てきます。そんなこんなで、オペラ好きイコールイタリア系と無理やりつなげて考えた結果、僕のなかでママはきっとイタリア系にちがいないという先入観で固まってしまっています。  ヤッフェはこの短編集を出した後、かなり長い間音沙汰のない状態でしたが、『ママ、手紙を書く』で復帰した後、矢継ぎ早に『ママのクリスマス』、『ママは眠りを殺す』、『ママ、嘘を見抜く』を刊行するなど“(コロラド州の架空地方都市)メサグランテのママ”として再登場しましたが、これらはみんな長編シリーズで“ブロンクス時代”を超えることはできなかった、というのが僕の率直な感想です。


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主に50~80年代の海外ミステリーの紹介を兼ねて読後感を綴っています。本格、倒叙、ハード ボイルド、冒険、スパイ、安楽椅子、ユーモア系等ジャンルは問わず読み散らかしてきました。ときには散歩の道をそれて50~70年代のモダンジャズやスキー、バラ園芸にもふれています。HP「気象と気候値のページ」も運営していますので、興味のある方は一番上のタイトルの下にある<気象と気候値のページへ>をクリックして是非お立ち寄り下さい。
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