『暁の死線』ウィリアム・アイリッシュ


以前、これは一種の青春小説だと書いたことがある(2014年10月7日)が、今回読み直してあらためてその感を深めた。以下のあらすじをご紹介すればうなずいていただけるはずだ。

都会にあこがれ、はちきれんばかりの夢をいだいてニューヨークにやってきた若い娘が挫折を味わうにはそんなに時間はいらなかった。砂漠のような大都会の片隅でダンサー稼業の日々をおくる彼女が偶然出会ったのは、同じように都会生活に疲れた同郷の青年だったが、盗んだ大金を返そうと戻った彼は主の死体を目にしてしまう。このままでは殺人犯として追われるのは間違いない。疑いを晴らすには自分たちだけで真犯人を見つけるしかないが、ふたりに残された時間は故郷へのバスが出発する夜明けまでのわずかな時間しかない。切迫した夜の闇のなかで、未来の人生を賭けた若いふたりの追跡が始まる。

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本書の作者はウィリアム・アイリッシュ、本名はコーネル・ウールリッチ。いずれも雰囲気を感じさせるいい響きをもった名です。プロフィールによれば、孤独と秘密のベールに包まれた作家の姿がおぼろげにみえてきますが、事実そうだったのでしょう。深めに中折れ帽をかぶったポートレイトは、世の中と相いれることのできない悲しみをたたえているようで、なにか中原中也を連想させるところもあります。しかし、そういったイメージとは裏腹にこの作家のペンは饒舌です。本書は、場末のダンスホールに店じまいが近づく午前0時過ぎから、故郷にむかう長距離バスが発車する午前6時までのわずか6時間に満たないできごとですが、それを人生の歓びやかなしみを凝縮させながらペシミスティックで流麗な筆致で描いている。そして、最後に訪れる夜明けの暁は、故郷にむかう若いふたりの再出発の夜明けの光でもある。青春小説以外のなにものでもないすがすがしさと、現代がとうに失ったロマンチズムがここにある。
一方で、アイリッシュの作品は現実ではありえない偶発性の連続によってかろうじて成立しているという脆さをもっている。複雑な現代社会にスレきったわたしたちには「偶然とはいえ、そんなにうまくいくわけがない」と鼻につくこともあるだろうが、その脆さの先にこそアイリッシュが描く独自の世界が開けているともいえるのでしょう。


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主に50~80年代の海外ミステリーの紹介を兼ねて読後感を綴っています。本格、倒叙、ハード ボイルド、冒険、スパイ、安楽椅子、ユーモア系等ジャンルは問わず読み散らかしてきました。ときには散歩の道をそれて50~70年代のモダンジャズやスキー、バラ園芸にもふれています。HP「気象と気候値のページ」も運営していますので、興味のある方は一番上のタイトルの下にある<気象と気候値のページへ>をクリックして是非お立ち寄り下さい。
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