『文士の友情 吉行淳之介の事など』安岡章太郎


安岡章太郎が亡くなって一年余りが過ぎた。
亡くなったあと、『文士の友情 吉行淳之介の事など』が出たので、折にふれてポツポツと読んでみた。これは、安岡の没後単行本に収められていなかった文章を中心に編まれた最後の本で、講演や対談を除けば吉行淳之介と遠藤周作との交友と、年少の二人を見送った前後を綴ったものである。いうまでもなく、安岡、吉行、遠藤は、第一次戦後派に続いて台頭した「第三の新人」を代表する面々であるが、彼らはいずれも生涯にわたって重い病気を飼いならしながら作家活動を行った盟友でもある。
『弔辞 遠藤周作』で、安岡は半世紀ものつきあいに及ぶ二人との別離を書いている。

 友人を裏切ることは後ろめたく、友人に裏切られることは腹立たしい。しかし、この歳になってみると、そんなことはどうでもいい。何よりも耐え難いことは、古い友人に死なれることだ。
 私は、さきに吉行淳之介を失い、いままた遠藤周作を亡くした。
 (中略)
 そして或る晩、そんな遠藤から、吉行の死を報せる電話がかかってきたのだ。
 「吉行が死んだ、たったいま・・・・・」
 遠藤はそこまで言うと堪らず、嗚咽の声になった。
 川端(康成)氏の言葉を繰り返していえば、≪芸術の友にあるのは死別ばかりで、生別といふものはない≫。その死別という決定的な別離の思いが、電話器の遠藤の声から私の胸にも伝わってきた。そして今度は、その死が遠藤のもとに巡ってきたのだ。 

とうに七十を過ぎ、いやというほどに人生の苦渋をなめてきた男がただただ友人の死に哭く、生涯にこのような友人をもつことのできるひとがどれほどいるだろうか。

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『海辺の光景』にしろ、後年の『流離譚』や『鏡川』にしろ、中途で投げ出した経緯があって僕は安岡章太郎のいい読者ではない。ただ、『なまけものの思想』だとか『戦後文学放浪記』だとかの文章にはなんとなく惹かれることが書かれていて、気になって長いことつきあってきた作家のひとりだった。
安岡章太郎は秀才を輩出してきた家系の出である。祖先は土佐勤王党に組した郷士であり、父は陸軍高級将校であった。いうなれば、エエとこの坊ちゃんである。そういった出自をもつ安岡は自分を劣等生であり落第生であるという。たしかに(旧制)中学から高校、大学、そして軍隊へとつながる青年期は挫折の連続であったようだ。また、戦中戦後の混乱期に肺結核と脊椎カリエスを病むという不幸に見舞われたのも、そういった劣等感に拍車をかけただろう。本書の「あとがきに代えて」で安岡の長女の安岡治子は、「父は、持って生まれたとちりの虫に支配された一生だった」と記している。
だが、単なる劣等生やなまけものではこれだけの作品群を書けるわけがない。安岡は置かれた境遇のあらゆることに関心、或いは執心を抱くという特質に秀でていた。それは、気鋭の作家としてアメリカに滞在留学した経験に基づく『アメリカ感傷旅行』から、出自にまつわる血族の歴史をたどった『流離譚』や『境川』に至るまでの作品に色濃くあらわれているし、エッセイに書かれた知友や作家仲間についてのあれこれにもうかがうことができる。

はにかんだ笑顔の裏側にたゆまない自己省察と人間への優しさを隠しながら、敬愛する作家がまたひとり逝った。「できることなら、真っ赤な陽が西の峠に沈んでいくように、人生を終えられるといい」と語っていたという安岡の没後だいぶ時間は過ぎたが、ようやく僕なりの短い弔辞を書くことができたことで、喉にささっていたトゲがとれたような気がしている。


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主に50~80年代の海外ミステリーの紹介を兼ねて読後感を綴っています。本格、倒叙、ハード ボイルド、冒険、スパイ、安楽椅子、ユーモア系等ジャンルは問わず読み散らかしてきました。ときには散歩の道をそれて50~70年代のモダンジャズやスキー、バラ園芸にもふれています。HP「気象と気候値のページ」も運営していますので、興味のある方は一番上のタイトルの下にある<気象と気候値のページへ>をクリックして是非お立ち寄り下さい。
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