『犠牲者は誰だ』 ロス・マクドナルド


1954年発表ですから、ロス・マクドナルド初期の作品です。

ロスアンゼルスへの帰途、通りすがりのリュウ・アーチャーの車をとめたのは路傍の溝に膝をついた血まみれの男の姿だった。運び込んだモーテルで息をひきとった男が、運んでいた数万ドルのウィスキーを運転していたトレーラーごと奪われたことを知るが、その荷主はそのモーテルの主人ケリガンだった。さらに、モーテルを手伝っていたトレーラー会社経営者の娘のゆくえが知れないことを知ったアーチャーは、暗く複雑な血縁が入り組むラス・クルーシスという田舎町の事件に足を踏み入れてゆく。

この作品の前には『人の死にゆく道』、『象牙色の微笑』が発表されていますから、初期とはいっても決して完成度が低いわけではありませんが、拳銃沙汰をはじめちょっとした銃撃戦さえも出てくるなどけっこう暴力的な場面にこと欠きません。そういった意味では少し荒っぽいというか、何かザラザラとした感触はぬぐいきれず、やはり初期に位置する作品としての性格を帯びているといえます。

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またここでは、この後の作品でも幾度か触れられてはいますが、若い日のアーチャーの姿が語られています。断片的に語られる過去から、後年のタフでいながらもの静かな私立探偵リュウ・アーチャーがどのようにして形成されたかをうかがい知ることができる部分です。

「私は少年時代に自動車を失敬して、ドライブを楽しみ、ロサンジュレスの迷路のような貧民街の、不良仲間と遊んだことがあった。(略)その後ウィスキイの匂いをした、色調のやわらかな服を着た男が、ロング・ビーチのシャーズ・ローバックの店からバッテリーを盗んだ咎で私をつかまえた。彼は私を壁の前に立たせて、それがどういうことなのか、どういうところに墜ちて行くかを話した。彼は、私をそういう道に追いやらなかった。
私はその後、何年も彼を憎んだが、二度と盗みを働かなかった。」

また一方で、この作品でもすでに後年のロス・マクドナルドの一端を垣間見ることはできます。たとえば、山間の湖畔に一人暮らす老人との間でかわされる次のような会話を引いておきます。

「冬じゅう、ここにひとりで残っているのかね?」
「そうだが」
「俺なんかそんな孤独に耐えられないだろうな」(中略)
「孤独といっても違った孤独があるんだ、あんた――――あんたの名前は何だっけね?」
「リュウ・アーチャー」
「べつな種類の孤独だよ」と、彼はくり返した。「こういうやつは、自分にとってはいちばんありがたいものだ。たった一人で生きて行く、他に誰が必要でもない、そんな生きかたも、とくに年をとってみるとなんとなく満足が行くものさ。なんしろ人間は世間をわたることに疲れきっているもんでなあ。(略)」

繁栄や富と引換えに失わなければならなかった人間の哀しみや憎しみを描いた後期の作品群を生み出すきっかけともいえる、複雑なアメリカ社会で疎外された人間たちの孤独が語られているのです。

このところ、ロス・マクドナルドの初期と後期の作品を行きつ戻りつしながら読み返していますが、発表年代にそって読み進むこととは別の新鮮さがあるということに気づきかけています。

≪補追≫
前回(2014年11月4日)、『ドルの向こう側』の再読感を書きましたが、その後下記のブログに興味ある記事があることを知りました。

「海外クラシック・ミステリ探訪記」

たしかに、この作品のエンディングは他作品とは少し違っているというぼんやりとした印象はもちましたが、これはこれという受けとりかたですませていました。このサイトで経緯に触れてみると、(おそらくはあのひととの)後日談などは本作品には不要だったのだろうと、あらためて思ったことでした。
しかし、世の中造詣の深い方がいらっしゃるものです。

 


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主に50~80年代の海外ミステリーの紹介を兼ねて読後感を綴っています。本格、倒叙、ハード ボイルド、冒険、スパイ、安楽椅子、ユーモア系等ジャンルは問わず読み散らかしてきました。ときには散歩の道をそれて50~70年代のモダンジャズやスキー、バラ園芸にもふれています。HP「気象と気候値のページ」も運営していますので、興味のある方は一番上のタイトルの下にある<気象と気候値のページへ>をクリックして是非お立ち寄り下さい。
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